愛がなんだ

お久しぶりです。映画を見ました。

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全部が好き。
でも なんでだろう、私は彼の 恋人じゃない。

猫背でひょろひょろのマモちゃんに出会い、恋に落ちた。その時から、テルコの世界はマモちゃん一色に染まり始める。
会社の電話はとらないのに、マモちゃんからの着信には秒速で対応、呼び出されると残業もせずにさっさと退社。友達の助言も聞き流し、どこにいようと電話一本で駆けつけ(あくまでさりげなく)、平日デートに誘われれば余裕で会社をぶっちぎり、クビ寸前。
大好きだし、超幸せ。マモちゃん優しいし。
だけど。
マモちゃんは、テルコのことが好きじゃない...。

 目の前に凄腕の剣士がいるとして、私も剣を持っているとするじゃないですか。一歩踏み込めば隙と見て斬りかかってくるかもしれない、悩めばそれを見透かされ、向こうから攻め入られるかもしれない。人と一緒に映画を見てエンドロールが終わり館内が明るくなった時って、私毎回そんな気持ちになってるんですけど、友達と行ったらその通りそんな気持ちになりました。一歩間違えれば死ぬ、人生はせめぎあい。

人生の楽しみ方は1000通りあるし映画の楽しみ方は10000通りあるのを知ったうえで言うんですけど、この映画は登場人物に共感できるか否かで評価が全然変わる作品かと思います。悪い言い方をすれば、この作品の登場人物は全員、山奥の洋館で起きた殺人事件に立ち会えば「こんなところにいられるか!」と怒って部屋で一人で寝るでしょうし、「足手まといはもう嫌!役に立ちたいの!」と言って城を飛び出し主人公の旅についてきて途中で悪党に捕まるでしょう。あの頃シン・ゴジラが大ヒットしたころ叫ばれた、「登場人物に無能がいないのが良い」に反証を突き付ける、最高の無能ぶりです。恋愛とはどうして。

 冒頭、主人公のテルコはただ自分が一方的に好きなだけの、付き合っていない男から電話で「風邪を引いたからコンビニで何か買ってきて」と言われて、うどんの材料とカビキラーを購入し味噌煮込みうどんを手作りした後風呂の掃除を始め、しまいには深夜に男のアパートを追い出されます。

彼女がカビキラーを取り出す前、家で休んでいた頃。電話で呼び出した男に対し、テルコは「ちょうど会社から帰るところだから、食べるものを買ってついでに寄っていく」と言うのです。実際には今から準備して家を出るにも関わらず。

ちょうど会社から帰るところだからという言い訳と、他人の家の風呂掃除という相反する行動。どれだけ取り繕っても好きという感情のどれだけ不自然なことか。彼女にとっては好きな人と電話して夜になっても「昼寝してたからまだ眠くない」と続けるとか、友達が行けなくなったライブのチケットが一枚余ったとか、そういう恋愛進行上の細やかな嘘の果てに風呂掃除があったわけです。カビキラーと風呂掃除が。

 

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 「『愛がなんだ』が原作以上となった「3つ」の理由。1:思わずヒロインの行動に共感、応援したくなる!」を見てするな!!!!!!と叫んでしまった